「ふるさとはアジア」について  きっかけは、今から15年以上前ですが、ヨチヨチ歩きの長女を連れて、親戚の家の近く の公園を散歩していると、同じ年頃の幼児を遊ばせているママの一団と出会いましたので、 会釈をしたんです。 すると、無表情というか、明らかに怪しんでいるという風情の眼差しが返されて、驚き ました。これが世に言う「公園デビュー」なのかと・・・。  また、当時しばらく作曲からは遠ざかっておりましたが、NHKの企画で「マイ・ソング」 というのがありまして、要は地元をテーマにした歌を募集して著名な歌手に歌ってもら う・・みたいなモンだったんですが、ちょっと応募してみようかしらん・・と、構想を練 りだしました。  その時、真っ先に思い浮かんだのは、あの公園での出来事でした。「あんなに睨まんでも、 にっこり笑って交流したらええやんね!」という事や、先進国の留学生は問題ないのです が、アジアなんかの留学生はなかなか部屋が貸してもらえない・・・と聞いたことや、  「これから大変なことがいっぱいだろうな・・」と思う私をよそに、北風に飛ばされそ うになりながら一生懸命に歩く長女に、不思議な感動を覚えたことや、なんやかんや混じ って出来たんです。 しかし、応募はせず、そのままお蔵入り。タイトルは「ふるさとはアジア」。名古屋の文 字は、入れられませんでした。  2001年、ひょんなことから、馬頭琴奏者「リポー」氏作曲の「スーホの白い馬」のCD 発売のスポンサーになってしまい、会社を立ち上げるに至りました。  それで、名古屋芸術祭参加のコンサートを企画しましたが、日本とモンゴルを対比させ る演出でしたので、内容が盛りだくさん。「結論」が要る!!ということになりました。  それで、お蔵入りしていたあの曲「ふるさとはアジア」を、結論の変わりに名古屋少年 少女合唱団の子ども達とリポーさんの馬頭琴で演奏してもらいました。  これが思いのほか、評判がよかったんですね。  これが11月。2ヶ月ほど前の9月11日には「同時多発テロ」が起きており、それ以後、 アフガニスタンや、北朝鮮やら、とにかく21世紀になったというのに物騒なことばかりで した。  その後「もしも世界が100人の村だったら」という本を読み、アジア人って、随分たく さんいることに驚きました。  北朝鮮の飢えている子どもの映像を見たあとで、ささやかな我が家の食卓の食べ残しが、 切なく、アフガンの子どもの大きな目は痛々しく・・。  もし各家庭に一台、「ドラエモン」の「どこでもドア」と「ほんやくコンニャク」があっ たら、「夕食、たくさん作りすぎちゃった」という時は「どこでもドア」から、おなかをす かせている子どもたちを招待して「ほんやくコンニャク」を食べて言葉の壁をも乗り越え て、楽しくご飯が食べられるのになぁ・・・・残念!!  で、もし「ふるさとはアジア」を、みんなが歌ってくれたら、その趣旨を説明して、ラ イブの時に募金を集めたり、CD化して売り上げの一部を役立ててもらったり・・・色々出 来るじゃ〜〜ん・・・と思って動いてみましたが、曲が自分のなもんですから、「売名行為 でしょ?」なんて軽く言われてしまったり。  日本の子どもたちはお金では救えない状態だと思いますが、まだ、お金で救える部分が あるところなら、なんとか、わずかでもお金を出してあげられれば、助かることもあるん じゃないかという・・・・これは、かってな思い込みだとは思うんですが・・・。  自費出版で、CD化まで、2年半かかりました。もう、それは「望まなければ得られない・・」 なんて簡単にいいますが、私にとっては大変なことでした。  それから、少しずつ協力してくださる方が現れて、なんとか現在にいたります。英語版、 中国語版、韓国語版(これからリリース予定)が出来ました。 アジアはむずかしい問題がいっぱいありますが、  遠い未来であっても、いつか心から信頼しあえる時代が来 るといいな  と、思っております。                                     柴 容